「ChatGPT」をはじめとする生成AIの登場により、教育界が揺れている。「学生が議論や思考を深めるきっかけになる」「先生の事務負担の軽減になる」などAIの活用によるプラスの効果が期待される一方、「課題やテストをすべてAIに任せる」「アートのコンクールにAIで作った作品を応募する」といった事態が発生する可能性があり、海外ではAIの利用を禁じる大学も出てきている。
日本でも国や教育現場で活用について盛んに議論が行われているが、芝国際中学校・高等学校(旧東京女子学園)はこのトレンドに先んじて、2021年にパロアルトインサイトが提供する高校生向けAI人材育成カリキュラム「AIと私 ~AIで幸せを作ろう~」を導入。生徒がAIに触れる機会をつくってきた。
そこで今回はパロアルトインサイトCEO / AIビジネスデザイナーの石角友愛が、芝国際中学校・高等学校を運営する学校法人東京女子学園の髙津稲穂理事長と対談を実施。教育現場が抱える課題、「AIと私」導入後の生徒の変化などについて聞いた。
<プロフィール>
石角 友愛(いしずみ・ともえ)
パロアルトインサイト・CEO・AIビジネスデザイナー
2010年にハーバードビジネススクールでMBAを取得したのち、グーグル本社で多数のAI関連プロジェクトをシニアストラテジストとしてリード。その後HRテック・流通系AIベンチャーを経てシリコンバレーでAI開発企業パロアルトインサイトを起業。日本企業に最新のAI戦略提案からAI開発まで一貫したAI支援を提供。東急ホテルズ&リゾーツ株式会社が擁する3名のDXアドバイザーの一員として中長期DX戦略について助言を行う。また、AI人材育成のためのコンテンツ開発も手掛けている。順天堂大大学院客員教授、東京大工学部アドバイザリー・ボード。毎日新聞、ITメディアなどで寄稿連載を持ち、TV出演も多数。著書『いまこそ知りたいDX戦略』、『いまこそ知りたいAIビジネス』など。
髙津 稲穂(たかつ・いなほ)
学校法人東京女子学園/芝国際中学校・高等学校 理事長
NECグループで約30年間、営業やマーケティングに携わり、DXビジネス、IoTなどを担当。2020年に学校法人東京女子学園理事長に就任。
石角友愛(以下、石角):御校は2023年4月に女子校の東京女子学園から共学校の芝国際中学校・高等学校へと生まれ変わりました。まずはこの背景について教えてください。
髙津稲穂(以下、髙津):本校は1903年に「私立東京高等女学校」として開校し、そこから約120年間、建学の精神と教育理念を守り運営してきました。ただ近年、社会は大きく変容しており、SDGs達成のために技術や知識、倫理、そして教育のアップデートも求められています。それに対応していくためには、伝統を「継承」するだけでなく、時代に合わせて「進化」していかなければいけません。そこで持続可能な社会、人々の多様な希望を受け入れる「希望循環型社会」をつくる人材を育成していくために、新しい学校の開校を決めました。
石角:社会が大きく変わりつつある中で、教育現場はどういった課題に直面しているのでしょうか。
髙津:本校の場合、大きく分けて3つの課題を抱えています。1つ目は「教育が先生個人の“職人芸”に依存してしまっていること」です。教科の教え方や授業の進め方、生徒との信頼関係の築き方、クラス運営の方法などは、先生個人が持つ知識やスキルとなってしまっています。それを可視化し、ほかの先生らと共有できるようにする必要があります。
石角:そういった知識はマニュアル化されていないのですか。
髙津:カリキュラムの基準として学習指導要領はありますが、こういったノウハウは先生の頭の中にあることが多いですね。
石角:今アメリカでは、生徒一人ひとりに合わせたアダプティブな学習がトレンドになっています。そこでは生徒に寄り添ったコミュニケーションが重要になってくるのですが、教育現場ではそういったノウハウは属人化していて、あまり共有が進んでいないのですね。
髙津:2つ目は「教育のプロセスや成果を判断する指標に統一感がないこと」です。私は以前、民間企業に勤めていたのですが、ビジネスにおいては利益など数値で表されるさまざまな指標がありました。ですが教育では客観的な指標というと偏差値や大学進学率くらいしかない。努力や工夫を指標に当てはめて評価するのは難しいとは思うのですが、その部分こそ教育において大切であり、基準をつくっておくべきだと思っています。
石角:難しい課題ですね。そもそも教育が生徒の人生や社会にどの程度ポジティブな影響をもたらしたのかは、早くて数年、長ければ数十年経たなければわかりません。生徒が学校に在籍している数年間ではまず把握できないでしょう。そのため偏差値などわかりやすい指標に頼ってしまいがちです。
ですが今後日本でもより個人に合わせたアダプティブな学習求められるようになっていくと考えると、それに合わせた指標が必要ですね。
髙津:指標の見直しは非常に大きなテーマであり、本校だけが考えてどうにかなるものではありません。ですが教育現場に求められている「多様性を認める」という観点からも、きちんと向き合っていかなければいけません。
石角:多様性はビジネスの現場では毎日のように話題にのぼりますが、教育においても切っても切り離せない問題ですね。先日発表された2023年版の「ジェンダーギャップ指数」において、日本は146カ国中125位と、前年からさらに順位を落としました。分野別でみると、教育は「47位」で男女平等に近づいている一方、「政治」が138位、「経済」が123位と非常に低かった。
性別だけでもこういった課題があるなか、あらゆる側面で多様性を実現するというのは本当に大変なことだとは思いますが、議論を続け、政策改革や仕組みづくりをしていくことが大事だと思います。
髙津:課題の3つ目は「先生の働き方改革」です。先生という仕事は本当に激務であり、なり手不足も深刻です。先生にもっと希望を持って仕事に臨んでもらうために、省力化を進めていかなければいけません。
石角:これらの課題解決に、どのようにデジタルやAIを活用していくおつもりですか。
髙津:生徒が人間性を発揮し、より多様性を受け入れられるようになっていくためには、これまでのように学校の中で教科書に書いてあることだけを勉強していくのではなく、オンライン・オフラインの両方を用いてもっと外の情報を取得し、体験の機会を増やしていくことが大事です。
ところが現代では先生も生徒も日々本当に忙しく、やりたいこと・やった方がいいことがあっても、そこに割く時間がありません。そこでデジタルが活用できると思っています。
石角:デジタルの導入で時間を捻出するのですね。具体的にはどういったことを考えているのですか。
髙津:たとえば先生の“職人芸”のデジタル化です。先ほど教科の教え方などが属人化してしまっているという話をしましたが、それらをデジタル化・可視化し、ほかの先生でも同じように教えられるようにすることで、先生の負担軽減につながると考えています。デジタル化により生まれた余白は生徒との対話や、海外体験などの未来につながる学びに使ってもらいたいですね。
石角:先生の事務作業が増えているという話をよく聞きますが、事務作業へのデジタルツール導入だけでなく、ティーチング自体のデジタル化もお考えなのですね。
髙津:はい。先生の事務作業は確かに増えているのですが、ある程度デジタル化が進んでいて、効率化につながるアプリも次々開発されるなど改善されつつあります。
そこでもう一歩踏み込んで、これまで先生のメインの仕事であった教科を教えることについても、デジタルを活用できればと思っています。デジタルの教材に先生が持つ教え方のノウハウを盛り込むことで、生徒への知識伝達はある程度可能になります。それにより先生は今までのようにティーチングだけに専念するのではなく、生徒を導くファシリテートの部分にも力を振り向けられるようになると期待しています。
石角:興味深いですね。アメリカではChatGPTを用いたAIチャットボットを授業で導入し、教科に関する細かい質問はAIに任せて、先生はファシリテーターとして生徒一人ひとりにツールの使い方などを教えるという学校も出てきています。
髙津:そうなのですね。お金と先生たちの理解があれば、日本でも授業にChatGPTの導入を進めた方がいいと個人的には思いますね。
石角:ただChatGPTは間違った回答をすることがあるほか、生徒間のデジタル格差が広がる、先生の質の低下につながるといった懸念もあります。またプライバシーの問題など、生徒がAIのリスクを理解していない状況で教育現場に導入することについては心配の声も上がっています。とはいえ先生は忙しく、人手が足りていないのは事実です。健全に向き合うことができれば、先生の業務効率化をはじめ、教育現場におけるAI活用の幅はかなり広いと思いますね。
石角:2021年、御校の前身である東京女子学園において弊社の高校生向けAI人材育成カリキュラム「AIと私 〜AIで幸せを作ろう〜」を導入いただきました。これは単純にプログラミングを学ぶのではなく、社会問題の解決や自己実現にどのようにAIが活用できるのかをプロジェクトベースで考える授業です。ぜひ導入の背景を教えていただけますか。
髙津:きっかけは5年ほど前に、たまたまセミナーで御社の講演を拝見したことです。そこで石角さんにお声がけさせていただき、授業への協力をご快諾いただきました。
ちょうどその頃、AIは世間で注目を集め始めていました。ただメディアの大半は「AIが人間の仕事を奪うのではないか」という論調で、その影響もあってか、当校でも「AIは怖い」という生徒が少なくなかったのです。
石角:弊社が行った生徒へのアンケートでも「将来、私の仕事もAIに奪われてしまうのではないか」と心配する回答がありました。今の中高生はデジタルネイティブというイメージがあったので、すごく意外でした。
髙津:では教える側はどうかというと、プログラミングや統計学など、AIのアカデミックな部分にばかり注目してしまっていた。ですが私はそもそもAIは敵ではなくて味方であり、テクニックや知識よりAIの活用方法やAIとの向き合い方を学ぶ方が大事だと思っていました。そこでAIに知見のある御社に教材づくりをお願いしたのです。
「AIと私」はアカデミックな視点だけでなく、御社がAIを社会実装した体験を盛り込み、AIと倫理の問題まで幅広く学べるカリキュラムになっていて、素晴らしいですね。
石角:本授業の導入により、生徒たちの意識や行動に何か変化は見られましたか。
髙津:まずAIに対する漠然とした恐れはなくなったと感じますね。またAI活用を「自分ごと」として考えられるようになったという点は、非常に大きな成果です。
石角:御校の授業ですごく印象に残っている生徒がいるんです。その生徒はバンド活動をしていて「インターネットで素敵な曲を見つけて演奏したいと思っても、楽譜が見つからないことが多い」という悩みを抱えていました。ですが授業を受けて「AIを使えば、曲名がわからなくても音楽から楽譜がつくれるようになるかもしれない。そうなったらバンド活動がもっと楽しくなりそうです」と目をキラキラさせて話してくれました。
まさに髙津さんがおっしゃった「自分ごと化」です。彼女は身近な課題の解決にAIが使えることを実体験しました。こういった体験があることで、将来社会に出たときにも同じようなマインドセットで技術と向き合うことができると思います。
「AIに使われるのではなく、AIを使いこなす」「自分や社会が抱える課題を解決していくために、どのようにAIが活用できるのか考える」、授業を受けたことでさっそくこういった考え方ができる生徒がでてきたことに驚きましたし、本当にうれしかったですね。
髙津:生徒たちの発想は柔軟で、感性も豊かですよね。私も生徒にAIの活用方法について尋ねたとき、「ハンディキャップがあって感情が表現できない人と、コミュニケーションを取れるようなAIを開発したい」という話を聞いて、びっくりしました。大人では出てこないようなアイディアです。
石角:素晴らしい感性ですね。芝国際中学校・高等学校の誕生に合わせて、「AIと私」もジェンダーに関する国際的な意識やAIの素養を身につけることができるよう、カリキュラムをアップデートしました。今後弊社との取り組みにおいて、期待することがあれば教えてください。
髙津:「AIと私」は場所の制約なく使えるオンライン教材であり、本校にとって最高の宝物だと考えています。また御社はアメリカに拠点を持ち、グローバルに事業を展開されており、生徒にとってシリコンバレーの情報は非常に刺激的です。この連携を通して、生徒たちが海外に触れる体験の機会を増やしていければと思っています。
石角:ChatGPTをはじめとする生成AIの利用が急拡大していくなかで、「体験」の価値は増しています。ChatGPTを使えば、体験していなくてもそれなりの文章を書けてしまう。でもだからこそ、体験をベースにした話は他者との差別化につながります。今後の御校との取り組みに置いても、生徒により多様な体験を提供できるようにしていきたいと思っています。